ナルコレプシー・AC・コミュ障…まだ生きてる

どうしようもなく陰な人間の思ったこと過去のこととか

この世はしんどいことばかり

課長に会議の場で大変バカにされた
全否定されたような言葉に
また、思考停止してしまって
もう一度説明し直した
同じようなことがこれで二回目
自分をなぶりたいのだろうか
自分がオドオドしているから
もしくは自分はただ仕事をしている気になっているだけで人に考えも伝わらなくて
おもりをしてもらっているだけなのかもしれない、やめさせたいのかもしれない
今のことをするのに頑張ってヘトヘトになっているのに結局こうやって人並みにもできないことを実感するのはつらい
うまく話ができないと頭で考えていてもできないことと一緒
自分は何もかも普通にできないんだと
劣等感とがっかりとエネルギー切れで涙を流し続けることしかできない
ずっと頭から離れない、朝になっても涙が止まらない

謝り癖の治し方を知りたい

自分に落ち度がなくても相手から責められると
自分が悪かったような気がしてきて
頭が謝るために自分の落ち度を探す方向に
むかってしまう。
それを治したい。
ネットで探しても、自尊心が低いなどの原因は
すぐ出てくるが、謝らないといけないと
思ってしまう強制的な思考をどうやって治していけるのかは書いていない。
治すのが難しいからではないだろうか…と思いいたり気持ちが落ち込んでいる。


同会社内のクレーマー、下の者に横暴な態度をとる他部署の役職者に同僚に代わりたまたま報告をすることになった。
いつも担当していた同僚(先輩)も役職者についての情報をくれず、ノーガードで突っ込んでしまった。
相手にとってはサンドバッグが前にどうぞと出された状態。ボコボコに言葉で殴られ始める。
相手のやり口はまず始めに強い一撃。
自分の心境は
「あれ?なんで殴られてるの?えっ?えっ?」
これで自分みたいな自尊心の低い人間の心を抉ってるんだろうと後で思った。

混乱と怒りで言葉がうまく出てこなかった。
ただ今日は、混乱しながらも不思議だ、理不尽だと思った相手の言葉を捉えて返していくことが途中までできた。
でも心のなかは「怖い」「なんで」「なにか間違っただろうか」でいっぱいで、訳もなく落ち着かなかった。
ただ、不思議とそいつが自分で発した言葉なのに返してやると「そんなことは言ってない」
といっていた。
今思うと、都合が悪い言葉なんだろう。

反撃ができていたことに気づかず、最後には「あまりのあなたの剣幕に私は驚いています。心を乱したようで申し訳ないです」
と謝まることを撰んだ。
本心では他部署といえ別会社のような関係なので勝手なこと言ってんなよ!と言ってやりたかったしそれに近いことは言えたかもしれない。

ただ浮かんだのは先輩のこと、先輩の機嫌を損ねる可能性があったし、
どうしても自分も悪いのかもしれないという気持ちに勝てなかったのもあった。
ただ癪だったので、ことさらショックを受けたように謝った。さすがにパワハラを意識してまずいと思ったのか、
「お前に怒ってる訳じゃない」等と言い訳し始めた。

報連相にのっとり、早速上に報告。
その際、近くにいた同僚に「あの人そうやって平にはめちゃくちゃ言うんだよー上に一度〆られたんだけどまたやったんだ…」
と労われ、上も労ってくれた。
その時点でようやく自分はホッとできた。
おかしいおかしいと思いつつ、自分の報告の
仕方が悪くて怒らせてしまった!
という気持ちが消えなかった。

でも悔しい、
自分が悪くて怒らせたという気持ちがなければ冷静に対等に話ができて謝ることもなかったかもしれない。
先輩に対しても疑念が強まった。
可愛いげのない自分をちょっと困らせてやろうという気持ちがなかっただろうか、と思った。
たぶん報告したら向こうから「ごめんねえ」と形は謝ってくれるだろうが…

今回の後悔は言うべきことを言えずに謝ってしまったことだ。
なぜ言えないのかは紐解かれている。
実際の場でどうやってパニックや不安に打ち勝っていけばいいのだろうか、
練習ができるようなものなのか。
カウンセリングは有用なのか。
謝り癖、治したい。

昼間の眠気,秋は収まる

朝から晩まで会議の一日を問題なく過ごせホッとしている。
春から夏までどうにも眠気が強く,
仮眠がとれる環境を有り難く思いながら過ごす日々だった。

昼休み中に仮眠をとる同僚もいるが、その時間帯だと自分は横になってもたいして眠れず結局後で眠くなってしまう

最近昼の眠気が酷くならないことに気づいた。
なんとなくだが気候の変化のおかげはあると思う。
春は眠いので気温以外の要因もありそうだけれど。
夜熟睡している感じがあるし、
(ということはよく眠れてなかったのか)
日々の体の疲れは夏ほどではない。
これくらいの体調で年中過ごせたら有り難いなあ。

毒親の子ナチュラルに恥ずかしい子供と思われている

父親は何を考えているのかよくわからないが、
母親は自分のことを世間様に対し恥ずかしいと思っているらしい。
顔なのか、性格なのか、よくわからないが全てなのかもしれない。
よく、藤井聡太君や大谷翔平君のような子供だったら私も大手をふって自慢できる、見返せるのにと言っている。
自分達からそのような素晴らしい才能の子が生まれる訳もなく、生まれたとしてもお前達が育てるなら私のように嫌世感漂うエネルギー不足の人間となり才能は生かされずに終わるだろうと心のうちで返答している。

母親の近い知り合いに、子供を自慢してくる人がいて苦々しいと時々話している。
おそらく自分の子は情けなく恥ずかしい存在とナチュラルに思っている我が母は言い返せずマウントされっぱなしで悔しい思いをしているのであろう。
そのマウント母も知っているが、私はそちらの子供がなんとも羨ましい。こんなにいいところがあると誉めてくれる母がいるなんて幸せだなと思う。

昔実家が困窮し、退学するしかなかなり働きながら再度入学を目指していたとき、恥ずかしいから外を歩かないでくれと言われたことを思い出す。それって自分のせいか?と思いつつ言い返すとひどい罵声が返るので黙っていた思い出。
こんな育て方でも社会に出て自活できてることにむしろ感謝してほしい。
家に金があったら引きこもっていたかったかな。

毒親の子、オドオドしてしまう

毒親の子、必要以上にオドオドする。
自分の話していることが間違ってないか、
そればかり気にしている。
気にしないようにしろと言われてもできない。
アルコール等で正気をなくすといいかもしれない、そういうレベル。

ちなみに毒親両親ともに友人は極端に少ない。
大人になって、他人を交えて話していると母親の発言に場が止まって冷や汗をかくことがしばしばある。話し続けようとするので必死に押さえる。たぶん後で嫌な人だねと言われているに違いなく、気まずさを覚える。当人は全く悪いとは思っていない。

父親はそもそもほとんど話さないので何を考えているかわからない。
ただ母親の機嫌がとれればいい。
小さい子供が困ってどうしたらいいか意見を聞いてもしたいようにしろ、自己責任。
子供を作ってはいけない夫婦だった。

嫌な子、だめな子と扱われてそうなんだと思ってきた。
でも今思うと当人達が一般的に嫌な人々だったんだ、とわかる。
そんな親に育てられた子なので、どこかで人を不快にさせる要素がこびりついているのは想像に固くない。

おどおどする態度はマイナスとわかっている。ただ、意見を述べる、自分で判断するとなったときにとても怖い。
言い様のない不安に襲われる。
こんなこと話していいのだろうかと思いながら
恐怖を押さえつけパニックになりながら話す。
筋道のたったことが言えなくて自分でもわかるので余計に自信がなくなって話がおかしくなる。
ずっと一重に自分の能力のなさ、口下手という特性と思っていたが、例えば閉所恐怖症のような病的なものではないかと考えるようになった。

だからと言って口下手が治るわけでもなく、たぶん何も変わってはいない。
ただ、自分が思うほどだめ人間でもないのでは?
そう思ったとき涙が出るほどホッとしたのだった。

毒親の子コミュ障どこかに嫌われる原因がある

今にしてわかった、
自分にはどこか嫌われる要素がある。

自分の場合、初対面では問題ないらしい。
だが付き合いを重ねるごとに避けられたりこちらもしんどくなってくる。
自分としては必死に気をつかって付き合っているつもりなのに上手くいかず疲弊する。
改善したくて、話し方教室等他者の目で見てもらおうとしてもこれといって原因がよくわからない。

自分が思うだめ要素
・卑屈、おどおどする態度
・意見を上手く言えない(しどろもどろ)
・すぐ謝る
・主導権を相手に渡しすぎる
・親から受け継がれた不快にさせる発言
・自分ではわからない不快な表情や動き

自分は毒親のもと、病気にもなり必死に生きてきた。
それはそれ、他人様には関係のないこと。
誰にも評価されることはない。
そのハンデがなければ、今でさえなんとか定職について働けているのだ。
どれだけ自分の能力が発揮でき余裕をもって楽しく暮らせたことかと残念に思う。
治さないと、自分は親にも他人にも自尊心を踏み荒らされ惨めに生きていくしかない。
辛くても更に頑張るしかないのだと思う。

知り合いのいない場所でどう振る舞うか

この前お誘いがあり小さなパーティに出た
知り合いがほぼ主催者のみ、
出席するとなれば一人で行くことになるので
ちょっと迷ったのだが、
closedな会で主催者の好意で呼んでくれたようなので思いきって行った。

コミュ障のため周りを巻き込んで話すことは無理、恐怖だしたぶん楽しませることもできない。
笑顔を心がけ、一対一だときついため集団で話し流れていくようにしていたら、
なんとなく、仕方なくだろうが受け入れてくれる人達もいた。有り難い。
手持ちぶさたになった時は主催者の手伝いも
していた。
その場には何とかいることはできたが交流を深めることはできなかった。
なんとなく修行感もあり終わりの挨拶の時には安堵の気持ちで一杯だった。

婚活パーティーでも何でもなかったが、裕福そうな人に食らいついていく女性達が目にはいった。
そういう人達は自分には歯牙もかけないので
その辺りの嗅覚や思いきった行動ができることは自分が下手なところで、すごいなと思う。

今回は、一人だったが半日以上も知らない人達の中で悲しい思いをすることなく過ごせた、ということでよしとしたい。
もしかしたら周りからアイツなんだ?と思われたかも知れないけど…
それを考えてるとキリが無いから、よしとする。
ともかく人を楽しませる、喜ばせることが課題だなあ 。